人のモチベーションってほんとにちょっとしたことで変わるなあという話

しごとはじめ初日。
外資ITにかれこれ15年近く身をおいているけれど、この業界?外資系?ってほんとにアピール上手かどうかで評価とか上に行けるかどうかがかわってくる。ある意味、日本の忖度制度(とかあるのか?)を超える政治的立ち回りが必要なのだ。新年早々横並びで同じ業務を担当している先輩女性に、私が作成した資料を自分がつくったみたいに上に報告されていたのがわかって、あああ、と思った。彼女のそういう性質は周知なのでいまさら頭にくることはないんだけど。ただ、今回は続きがあって。
その資料にもとづく調査指示が上司から彼女だけに降りていてそのことを、別のルートから展開されてちょっとへこんだ。資料のことはいい。でも上司のメールは、彼女と私は同等に展開されるべきものだ。私の担当エリアに関する内容を彼女に聞いているところ。組織的に、上司はかなり上層地位の人ではあるけど、直下の部下の業務エリアはわかっているのに、ふたりしかいない業務の片方だけに情報展開するというのはどういう軽率さなんだろう。そのことで私がどう思うかなんて考えもしないんだろうな。
まあ、こういうことが起きるのは自業自得なのかも。レコグニションしてもらえていないのは私のアピール能力が低いからであって。そういわれてしまえばほんとにそのとおりなんだけど、私は彼よりずっとえらくても必ず返事をくれたり、ありがとう、っていってくれる人もたくさん知っているので、そういうひとの下で働きたいなと思った。メールの宛先を外されただけ。でもそんな小さなやりとりに配慮や機微や品格が宿るものだし、そういうことすら気にも留めないエライ人って地味に人望を失っていくんだろうなあ、って思った。悪気があるなしの問題ではなく、そういう機会損失って数値化できないから難しいね。RPAやTalentManagementや機械学習でも拾えないものだろう。とりあえず、会社辞めるときはそういう理由にしよう。

逆に自分にとって悪気のない無邪気な振る舞いやことばが、知らぬ間に誰かを傷つけていることもあるなあ、あらためて人間関係って甘く見ちゃいけないなと、思った。ちゃんと伝わっているものなのだ、好意も悪意も。侮ってはいけない。
仕事に関しては、今年は少し受け身でいようと思う。つい先回りして気が利くひとになりすぎると、周りの期待値を上げると同時にあたりまえに思われて何も感謝されなくなる。今年は、助けてって言われないと助けない。風の時代だし、おかあちゃん気質はちょっとひそめてさらりと軽やかに100%出力でやめておこう。今年のテーマは「課題の分離」。

手帳習慣と年始の抱負はいつまでつづく?

毎年年末になると来年の手帳を新調して新年に始める習慣を書き出してみたりするけれど、過去の手帳を見返しても、ほとんど4月くらいには何も書かなくなる。(2月は旧正月に合わせて復活、3月は春分に合わせて復活、というタイミングがあるので、瀕死な感じで続いている。)とくに2020年はコロナでほぼ自宅にいたので、手帳はほとんど真っ白。2021もリモートワークは当分継続なので、手帳は買わないことにした。その代わりMonthlyだけのもの薄いのを利用して、日々の気分と体調、月と惑星の運行だけをメモすることにした。自分が落ち込むサイクルと星の運行の関連性って前からきになっていたので。

手帳習慣を継続することと年始の抱負を持ちづつけることって、実は似ている。年始に、英語だヨガだって毎年同じことを思うけど毎年続いたためしがない。だから、今年はいくつか決めた習慣を1年間「続ける」、ということを目標にしようと思います。

手抜きでもなんでも、らしいことをやった、というのが大事、最後にとりあえずこれ習慣化できたな、って思えることが大事。設定のハードルを下げて「できた」ということを増やすことが大事。

こどもとちがっておとなは、成功体験やほめてもらう、っていう機会がほとんどないのです。だから、できることを設定してできたときに自分で自分を認めてあげる、自分で自分をほめてあげる。ささやかな抱負です。